【COLUMN】2024鈴鹿8耐から続くレース三昧
8耐から続いているイベントが終わらない。
今年の鈴鹿8耐は参ったね。チームアジアでモト2を走っているマリオ・アジに白羽の矢を立て、監督の青山博一も「8耐を走ったらマリオのスキルも上がると思いますのでよろしく」
期待していたが、とにかく走行の度に転倒し、おまけに脱臼癖のある肩をウイークに脱臼してしまい決勝に不安を残した、まさにそれが的中し最初のスティントすら走り切れなかったんだ。(ウイークに脱臼した時にメディカルのドクターからは赤信号が出ていた)
本人の強い希望で走らせたが、ここはドクターの指示が正しかったね(実は俺達も薄々分かってはいたが希望的な観測と、何より海外からこのために遠征してきたライダーの希望を無下に断り切れなかった)
スタート後ホンダ・ヤマハ・ドカッティのワークス?マシンに引けを取らず頑張った國井、昨年に続き参戦の浦本の二人で戦うしかなくなった。
俺は過去に同じような経験があった。当時オランダの新鋭で元気があったマイケル・ファンデルマークが、同じように1スティント走り切れずにピットインしたんだ。彼の場合は鎖骨骨折の影響で手がしびれ握力が極端に落ちてしまうトラブルだった。(でも、その時は残った二人、巧とハスラムの頑張りで優勝したんだ)
しかし今年は状況が違った。あまりにも暑いせいで、滑るタイヤを腰で抑えながら走るために、元々腰に難のある浦本は痛みに悲鳴を上げていたし、熱中症の症状が出始めていた國井、
最後のスティントではどっちのライダーも選べない事態になっていた。
「ペースを上げられませんが、走るだけなら僕行きます」浦本の決断を得るまでピット内で張り付いたままでいた。初めての経験だったな。流石にレース中にコースに出ないでいたら順位は落ちていく、5位争いをBMWチームに譲り、ゴール時は9位まで順位が下がってしまった。
失意の8耐から、翌々日にはインドネシア・マンダリカへ飛んだ。昨年この地で逝った遥希のリベンジの気持ちを持って臨んだレースだった。國井も同じ気持ちを持って戦ってくれたが、悔しいけど勝利を遥希に捧げることは出来なかった。
レースウイークに遥希のプレートがある場所で献花をしたが、殆どのチーム関係者が参加してくれた事はとても嬉しく、毎年この場所に戻って来られることを願った。
鬼のように暑かった鈴鹿から、海沿いで意外に涼しいマンダリカ。羽田に戻りすかさず成田空港へ。そう、東京乗り継ぎでフィリピンへ。チェックインまで2時間!結構忙しかったな(汗)
フィリピンではホンダフィリピン主催のドリームカップレースがあり、前回のトレーニングに参加したライダー達が成長したか楽しみにして行った。
国は違っても結局は同じ、トレーニングでフィジカルが足りないからやりなさいと言って、やってきた奴とやらなかった奴、ハッキリ出てしまう。
バイクのレースはビギナークラスならある程度カッコが付く程度には乗れてしまう。そこからレーシングライダーになるためにはフィジカルが重要になってくる。乗れれば良いと思っている子たちにフィジカルがいかに大事かを説明するのはとても難しい(言葉と文化の壁)
言葉が通じない時はボディラングウエージ?じゃないけど、70過ぎのジジイでもここまで出来るというところを見せるしかない。
スクワットやプッシュアップなど、俺の得意なところだけを見せ付ける(笑)
フィリピンの子たちはスタイルが良く足も長い、スクワットなんて脚が短くストロークの少ない典型的な旧タイプ日本人体形の俺の方が強いに決まっている。(笑)
それ以外で弱いのがランニング。元々暑い国で少しの距離も歩かずトライシクル(側車付の3輪車)に乗る文化、ランニングなんて。(最近は自転車が流行っているのは不思議、みんなそれなりのカッコでロードレーサーを走らせている)
という訳でコースに他のマシンが走っているときはフィジカルトレーニングに精をだしている。(今度行った時にどれだけマッチョになっているか楽しみ?)
ハルクプロフィリピンにはジムがあるが、今度はプールを使えるようにした。短いけど、暑い中でトレーニングしたあとのプールトレーニングは、ある意味天国?
フィリピンから帰ってきたらその週にもてぎ2&4レースがあった。
8耐後初のスプリントレース。8耐優勝の哲平がどんな走りを見せるか期待を持って臨んだが。高級車に乗った後の一般車両?は、哲平にとって厳しい乗り換えだったみたい。
自己ベストから2秒落ちでしか走れず失意のゴールでした。
今週はAPの事前テストがあるけど台風直撃でどうなる事か?