【COLUMN】アジア選手権セパンパート2

アジア選手権セパンサーキット

全日本オートポリスが終わって俺は速攻でフィリピンへ飛んで行った。

ハルクプロフィリピンのワークショップにはタイから輸入したCBR300Rが出番を待っている。俺がツインリンクもてぎでやっていたMUSASHIスカラシップトレーニング、同じオートバイを使ってフィリピンでも若いライダーの育成をし、アジアの選手層の増加に寄与出来ればと考えているんだ。

プロジェクトのスタートは2018年だけどコロナの影響で中々スタートが出来ないでいる。最近ようやく明るい兆しが見え始めたので、トレーニングコースであるタルラックヒルサーキットに出掛けCBR300Rの慣らしに行ったが、一日で何台かは慣らしが出来るだろうと頭では考えていたが、身体は別。何台どころか1台やるので精一杯だったよ。普段チームのライダーに慣らしの重要性を説教し偉そうに言っていたけど、めちゃめちゃ疲れる。

サーキットのマネージャーのマラべは「もう終わりか?俺が代わりに乗ろうか?」冗談じゃないよ、体重120Kgはあるんじゃないかと思うほどの大男、CBRの慣らしが終わる前に壊れてしまう。「もう今日は帰るよ、走行料はどこで払えばいい?」マラべ「少なすぎるからもう少したくさん走った時でいい」走行料も取られないぐらいしか走れなかった。

そのマラべが「今度の週末にここでレースがあるからバイク展示すれば、珍しいからみんな見にくるんじゃないか?」いうので急遽CBR300Rの展示会と、来年から始める予定のトレーニングの案内書を作って行った。

フィリピンには無いCBR300R、それがサーキット走行用にモディファイされているので、レースやっている少年たちにはやたらと人気があった。

10月のレースの時はデモ走行をやることで話が出来たので、楽しみが又増えた。

アジア選手権もいよいよ終盤戦になってきた。マレーシアセパンサーキットは今年二回目だ。ここで一気に差を広げ、最終戦を有利な形で迎えたいね。

今年2回目のセパンでのレース。

埜口も一回目に比べだいぶ余裕ができたようで、サーキットでも饒舌で、仲良しのスタッフKITとふざける時間が増えていた。KITはチームのムードメーカーで、口癖は「腹減った」それを日本語でいうから受ける。まあ、体型的にもそういった言葉がやたらと似合う。

和やかなピットの雰囲気で進んで行ったセパンだが、思わぬ落とし穴が。

レース1のサイティングラップが終わりグリッドに付くタイミングで雨が降ってきた、それも結構な勢いで。さすがのアジアレースオーガナイザーも、全員スリック装着なのを知っているので一旦ピットへ引き上げさせた。その時からフラッグタワーではウエットレースのサインボードが提示されていた。(アジア選手権の規則にウエットレースの場合タイヤはレインタイヤに限るというものがある)しかしみんながピットへ戻った頃には雨は上がり晴れ間が。(南国の天気は怖い)7分後にクイックスタートで再開しますとインフォメーションがあったが、依然としてウエットレースのボードは出たまま。(もうコースはドライになるだろうに、ボード引っ込めないの?)

俺たちの隣ではタイヤ交換を始めた。(それ、ダメでしょう?規則聞いてるでしょう)

そのままクイックスタートで始まったレース、違反を覚悟?でスリックタイヤをチョイスしたライダー達5人がぶっちぎり。俺たちの埜口は11位へと沈んだ。

レース後、揉めに揉めたのは言うまでもない。結果は覆らなかったね。

翌日のレース2では前日のうっ憤を晴らすべく埜口は快走し、4勝目を挙げ、最終戦を前に大きな差を付けることが出来た。

レースが終わってから、チームマネージャーのロドニーとムードメーカーKITが住むペナン島へ、つかの間の休日を楽しみに行ったが、ロドニーが連れて行く所は名所旧跡お寺や遊園地みたいな山。(興味無い。笑)俺はノンビリ海にでも行きたかった。と言ったら海に行ったけど、遠浅のビーチとは程遠い近深?の海。何すんだよここで、(笑)

失意のうちにフィリピンベースに戻った。(こっちの方がよっぽどいい)