【COLUMN】Vol.274 2018年最終

忘年会のスケジュールもおおむね終了し、今年も残すところ今週一杯で仕事も終わり。

ハルクとしては予想していた事ではあったけど、厳しいシーズンでした。

昨年まで長い事一緒に戦った巧が移籍し、若いライダーばかりになった今年。巧なら上手く行かない時、マシン・ライダー両面から分析し、足りない部分をお互いに補う努力で戦えた。ところが若く経験の少ない涼だとそうは行かない。良かれと思って施すセッティング変更が逆に涼を迷わせる事になる事がしばしばあった。俺達は巧とやっていた経験を元にセッティングを施すが、涼にとってはセッティングが変わる度にフィーリングが変わるマシンに手こずるんだね。幅が狭いというか、許容範囲なのか、ピーキーと言えばいいのか、俺達の使っているマシンは気難しい。タイトコーナー、高速コーナー、上り下り、切り返し。あちらを立てればこちらが立たず、みたいな事に翻弄された。「そんなの、みんな同じだよ」と、言う人もいるかも知れないけどね。どのレベルで折り合いを付けられるか、なんだよな。

今年、俺達の目標はランキング10位以内だった。結果は11位。開幕のもてぎで規則書を良く見ない、思い込み競技監督のせいで1レースを失ったのが最後まで響いた。まぁ結果論だけど、あのレースで涼を黒旗出してまで無理矢理止めなければ、俺もしつこく言わない。自分の未熟さを棚に上げ、エントラントに不利な裁定を下す。権限を与えるとそれを振り回す、江戸時代の目明しじゃないんだから(お代官様のMFJは不備を認め、速攻で規則書を直した)。俺達が受ける損失は、10万20万じゃ済まない事を認識していないんだね。

まあ、元はと言えばサイティングラップで転倒した涼が悪いんだけど、若いからしょうがない(苦笑)。

その涼の、チャンピオンマシンを受け継いだ哲平。同じもてぎの開幕戦で、ポールポジションからスタートしながら、何とも不思議なトラブルでリタイヤ。俺の50余年に及ぶレース人生の中でも記憶に無いトラブル。いわゆる負の連鎖ってヤツだったのかな?!

俺達は今年最終戦まで勝ちが無かった。毎年複数のクラスで戦い、何れかのクラスで毎年勝利を重ねてきた俺達。「このまま終わるといつ以来の不名誉な記録になるのかなあ」。

15年以上続いた記録を継続させたのが哲平。難しいコンディションだったが、見事な勝ち方をしてハルクの記録を守ってくれた(まあ、誰もそんな事、知ったこっちゃ無い、俺達だけの秘かな喜び)。頑張った哲平は、最終ランキング3位まで上がった。

去年JP250で国内ライセンサーながら度々総合優勝を決め、当然のように初代チャンピオンになった上原大輝。今年はST600に上がり、もう少し活躍するかと思っていたけど、上手く行かないものだね、最終ランキングは11位だけど、大輝はもう少し行くと思っていた。

個人的にはだいぶ悩んでいたようだけど、俺達の世界は結果が命。今年の苦労が来年花咲くように、センスだけで言えば今の若手の中ではピカ一だと思っている。

鈴鹿の8耐は・・・思い出したくないなあ。

事前テストからバタバタだったから、決勝までにチームとしての体裁が整わなかったね。当然ベストなセッティングも決められずに臨んだ決勝。一番ベテランのランディが、何と2周目の2コーナーで転倒。その後再スタートしたが、欠損した指先からの出血と痛みからピットイン。彼はそのままリタイヤ。残りの二人で臨んだが、涼がウエット路面に再び足を取られ転倒し腕を骨折。この時点で俺達の8耐は終わった。たとえ涼が戻って来ても、残りをドミニク一人ではどうにもならない。

 「来年こそは」なんて根拠のない強がりは言えない。準備が出来たら言う時は言う。

レースは俺達だけでやっている訳じゃ無いから、負けることはある。要は負けた時に負けた理由を良く考え、次に生かす事。

今年はたくさん負けたから来年のレースに生かす事が一杯ある。若いライダーの育成を始めて早、20余年。こんな事、嫌というほど経験してきたからね。

今年も私どもを応援頂いたすべての皆様にお礼申し上げます、有難うございました。

 良いお年をお迎え下さい。