Vol.265 2018年
コラムの更新がされてないとの指摘を受け、慌てて更新。(苦笑)
年末から海外逃亡?を企て、寒い日本から脱出したのが昨年暮れの20日。
67年間の人生で初めて海外でクリスマス・正月を過ごした。
俺達の仕事はバイクのレース。国内での活動は専門職になってからちょうど30年が過ぎ、
長きに渡って得られたノウハウを海外でも有効活用してもらうために、東南アジアのレース活動のサポートを積極的に行っている。
スタートは今を遡る事20数年前、タイのカストロールチームからだった。当時はアジアパシフィックチャンピオンシップレースと言って、最高峰のレースは250クラス(日本で言うとSP250)雨が降るとレインタイヤが無いので、そのまま走るか酷い場合レース中止。
オーガナイザーは今の2ホイール代表ロン・ホックの親父でサム・ホックだ。
それから時を経てタイのAPホンダやマレーシアのブンシュウホンダチームをサポートし、ブンシュウホンダチームを5年連続チャンピオンチームに育て上げた。現在はインドネシアのアストラホンダチームをサポート、AP250でデビューイヤーのCBR250RRでチャンピオンゲット。
日本と違い東南アジアではレースの結果が一般市販車の販売にダイレクトに反応するようで、携わる人達もある意味日本とは違うプロ意識を持っている。
前述の現地法人に感化されモータースポーツ後進国でも最近積極的になってきた。
その一つがフィリピン。フィリピン国内はこれまで商用バイクがほとんどで、スポーツバイクはごく一部の限られた層の乗り物だったが、近年はツーリングなども盛んになってきている感がある。それだけにレース参戦も重要なプロモーションになっている。
レースの発展に欠かせないのは統括する団体だ。日本で言うMFJ。フィリピンには統括団体はあるが主流派?の印象が薄い、どちらかと言うとバイク雑誌が主催するレースの方が盛んな気がする。レース数も多いし当然露出機会も。(当たり前だ)
10年ほど前にFIMアジアの会長だったマッキー(ステファン・カラピット)が今年再び会長職に復帰した。彼はフィリピン人で、元々MXライダーだった関係で、現在もMXには積極的になっている。(ロードにももう少し力を・・・)
俺はフィリピンにある代表的な二か所のサーキットを視察したり、地元のショップチームに行き話を聞いたり、テストに付き合った。(そこはサーキットと言うより公園の外周路?)
バイクはアジア選手権で使っているアンダーボーンみたいなものだけど、少し違うな。レギュレーションが良く分からない。結局統括団体が無に等しいので、勝手に各団体が似たような規則でレース運営を行っているんだ。
フィリピン語と英語、日本語に身振り手振りでのコミュニケーション。ショップのボス「どうだ?俺のマシン」俺「何が?」ボス「速いか?」俺「・・・・?」比較が無いからまったく分からない。(苦笑)ただ、やたらとタイヤがつぶれるので俺「タイヤのエアーが低い」ライダー「エアー多くすると止まらないで跳ねる」俺「サスのスプリング硬くすればいい」ボス「そんなパーツは無い」俺は1ペソコインを5・6枚出して片側に5枚づつ入れてプリロードを掛けてやった。少しは良くなったのだろう、ライダーの兄ちゃんは喜んで「パーフェクト!」全然パーフェクトじゃないよ。(笑)
ショップのボス「何故コイン10枚で良くなるんだ?」英語がおぼつかない俺には一番苦手な事は事象の説明。バイクのセッティング、やるのは簡単、言葉にして説明するのが難しい。これは日本の若いライダー相手でも同じだね。
レベルはまだまだだけど、以前のタイやマレーシアも同じだったから、地道にやるしか無い。
今年から巧がチームHRCになり、JSBのライダーに水野涼を抜擢した。巧は「涼にJSBの厳しさ教えますよ」と言っていた。先日のセパンテストでは三日間順調にテストをこなし、初っ端としては悪くない結果でテストを終えた。俺はとにかく「慎重にな、転ぶな。自信を失うから」そう言い続けていたよ。(笑)
今年、涼がルーキーとしてどれくらいの成績を残せるか、結果いかんで本人の望むフィールドが見えてくる。