Vol.120  09鈴鹿300Km

今年も夏の8耐に向けた鈴鹿300Kmの季節が来た。
思い起こせば昨年の300Kmは序盤にリタイヤとなってしまったので、今年は慎重に準備を進めた。(いつも慎重だけど更に、の意)

俺達が300Kmや8耐を戦う時、いつもの全日本車と若干違うところがある。その違いをライダーは大きな違いと感じるようなので、セッティングに時間が掛る。特に普段全日本車でJSBを戦う辰也は戸惑いがあるようで、なかなかOKが出ない。

俺は常日頃辰也に言っている事がある。「セッティングに時間を取り過ぎ」要は、辰也にしてみればいいフィーリングになればきちんと走りますよ、と言うことなんだろうけど、取り組み方の問題。総体的なことも考慮しながら進めないと、他にやらなければならない事が後回しになってしまうんだ。今回もその事がレースに表れてしまった。

耐久レースはチームプレーだ、それは誰でも分かってる事だと思うが意外に分かってない。ライダーはコース上で戦うが、メカニックはピットで戦う、もちろんサ-キットに来る前にガレージで思い切り戦っているが。ややもするとライダーの考えだけが先行する。
辰也の速さ、これは疑いの余地がない。でも結果が残る事が少なかった(特に耐久では)事が理解出来るような気がする。

そういえば今回の300Kmでも鈴鹿の表彰台に昇った辰也、以前俺が「辰也が鈴鹿の表彰台に昇ったの何か記憶に無い」言ったし、このコラムでも書いた。辰也は、「社長!俺は鈴鹿の表彰台一杯登ってますよ」抗議した。良く考えてみれば確かにそうだ。俺達がJSBクラスの表彰式を見てないだけだ、辰也とそのファンの皆さんにここで訂正とお詫び申し上げます。辰也は鈴鹿でたくさん表彰台昇ってました。(汗)

300Kmに行く前に俺にとって極めて不幸な出来事があった。
鈴鹿に向かって車を走らせていたら大林氏から電話「池さんが倒れた、心臓が止まってるらしい」俺は一瞬何だか分からなかったが、とにかくUターンして病院へ駆けつけた。そこに居たのはもう池さんじゃなかった。体中にチューブを付けられて、取りあえず息をし、心臓を動かしているだけの池さん。眼は開いたままだが覗き込んでも反応は無い、声を掛けても返事は無い。俺は涙が止まらなかった。
俺の大好きな池さんは、夕方親戚の方が見えたら永眠した。時は17時28分。又涙が止まらない、なんでこんなに涙が止まらないんだろう、とにかく一杯ある池さんとの行動を思い出すたびに涙が溢れた。
仕事に遊びにお酒に歌、何でもパーフェクトに共有出来た無二の親友が逝ってしまった。
忠さんと「仲良し3人組は終わったね」話をしながら又涙。
お通夜の晩、あ~言えばこうゆう会の連中と馬鹿みたいに飲んだ、飲まなきゃいられなかった。でも気が付くといつもは居た池さんがいない。変なかんじだった。
お骨になった池さんを見た時、やっと少し吹っ切れたが、夜に凄い嵐のような天気、雷。
人間が特別な感情の時、なんでも自然と結び付ける。「あ~あ、池さん騒いでる」

池澤一男 享年61歳 この業界の宝がまた一人減った。