Vol.119  JSB初優勝!

やったー!
2004年からJSBクラスに本格参戦して5年目に、やっと日本の最高峰クラスで優勝した。レースはやっぱり勝たないと意味が無い。いくら表彰台に上がっても(2位でも3位でも負けは負け)イマイチ充実感が無いんだ。
オートポリスでは辰也がパーフェクトな勝ち方をしてくれた。前週のテストからいい感じではいたが、実際レースになると何があるか分からないから、不安と期待が入り混じっていたんだ。

今回、スタートはズッコケテた。メカ組が先にトラックで出発して、ライダー組は(俺も)後移動。羽田に着いたら、龍太が「ヤバいですねー、飛行機飛ばないかも」深刻そうな顔。
俺は「何でよ?」聞いた。
確かにアナウンスで、「熊本行きの便は視界不良のため、福岡か羽田に引き返す場合があります」言ってる。俺は、「大丈夫だよそんな事しょっちゅうだから」言ったが、内心は(福岡ならまだいいけど、羽田に戻ってこられたらヤバいよな、遊園地じゃないんだから、飛行機乗って喜んでる場合じゃないよ)考えてた。龍太に「まあ、羽田に戻ったら俺の車で行くか?明日の走行には間に合うよ」言いながら「それも心配だけど、辰也が来ないな」もっと心配な時間になっていた。
俺は辰也に何度も電話したが留守電になって通じない。
いよいよ搭乗になって、ほとんどの乗客が乗ってしまった。俺と龍太だけが残っている。ANAのおねーちゃんが「あの~この便に乗られるのならお急ぎ下さい」急かすんだ。そうは言っても肝心の辰也の姿が見えない。龍太は、「辰也さん乗ったんじゃないですかね」得意の楽観的な発言。俺は「ふざけんなよ、これだけ一生懸命探してるのに、大体来てたら挨拶も無しに勝手に乗るか?」いいながらも、早く搭乗して欲しいおねーちゃんの哀願にも似た眼にほだされて「しょーがない、乗ろう」搭乗した。
案の定、俺の隣の席が空いている。
俺はスチュワーデスのねーちゃんに「この席の山口がまだ乗ってないんだ、少し待って」言いながら携帯で辰也に電話。それを見たスチュワーデスは「申し訳ございません携帯の電源をお切り下さい」
もう、俺の頭は爆発寸前。
やっと辰也が電話に出た。
「辰也!走れー、もう飛ぶぞ」俺は必死で叫んだ。辰也は「社長、俺もう熊本に着いてますよ」何事も無いような冷静な声だった。
その後、俺がスチュワーデスのねーちゃんに平身低頭してた事は言うまでも無い。
何の事は無い、辰也は俺にチケット手配を頼んでおきながら、勘違いしてWブッキング!先の便で熊本に向かってたのだ。

心配してた視界不良は何とかクリアー。無事熊本空港に着いた。
今度はチーフの堀尾から電話があって「足が無いので飯食いに行けないです」俺は「何で?小西がレンタカー乗ってホテル行ったでしょ?」堀尾は「それがー、辰也がその車乗って何処か行ってしまってて」
俺は???
何だか分からない。「まあ、いいよすぐ行くよ」ホテルに着いたら、ほぼ同時に辰也が汗かきながら帰ってきた。その後じっくり辰也とミーティングしたのは言うまでも無い。(苦笑)

今年もオートポリスのレースウイークは荒れた。
毎年と言っていいほど天候が荒れるオートポリス。何とかならないもんですかね?
フリー走行、予選とスケジュールは進むが、一人浮かない顔の奴がいる。小西だ。年代物の精密機械みたいな心を持つ小西は、狂い始めると修正に手間が掛る。数多くそんな場面に遭遇したが何とかレースまでに修正出来たが、今回は間に合わなかった。狂った精密機械、小西のレースは、2周持たずに動きを止めてしまった。
最新のデジタル機器みたいな龍太は元気よく戦い、自身初の表彰台に登った。(今後の課題はチェッカーまで集中力を持続させる事かな?)
辰也は冒頭の記述の通り、不安を払拭した完璧な勝ち方だった。

思えば辰也がウチに来たのが97年。その後ワークスを含め旅に出て帰ってきて十余年、ハルク・プロの看板で初の優勝は、うちにとってもJSB初優勝!嬉しかった。帰りの便でもチョッとした問題があったけど、それが辰也らしい。(笑)何はともあれ、ハルクのJSB初制覇は今のところ順調に進んでいる。