Vol.21 2005年全日本最終戦
長かった今シーズンの戦いもとうとう最終戦になった。前回の岡山で周平がチャンピオンを決め、今回は安田のチャンピオンが掛かった戦いになった。
前回の岡山で7位という今期ワーストリザルトだったために、2位の手島に5ポイント差に詰められて来た最終戦。俺たちは、何とかヤスに自信を与えなければとの思いから、前週にヤスの為だけにもてぎを借りて走らせた。たかだか1時間、それも朝8時からなので中身の濃いものにはならないが、後で悔いが残るのはイヤだったから思い切って借りた。
ヤスがこの走行をどのように感じたかたは分らないが、とにかく何とかしなければ崩れ落ちてしまう気がした。
レースウイークに入ってもヤスは「チャンピオンの事は気にしてません」と公言していたが、言葉の本意は分らない、もちろん、チャンピオンになりたく無いという事がある筈もなく、恐らく今はチャンピオンよりもレースで勝ちたい思いの方が強いんです、という事を言いたかったのだろうと思っている。
そのレースでは完全に負けてしまった、
それも一番負けてはいけない相手に。
600のランキング争いは実質3人に絞られて最終戦を迎えている(数字上の可能性は4位の徳留にもある)1位安田、5P差で2位手島、9P差で3位辻村の順になっていた。安田は1位か2位なら文句無く、3位以下に落ちた場合に相手次第での条件付きとなる。
一方手島は、自力チャンピオンは優勝しかないし、それでも安田が2位に入れば無理なのである。
要するに、辻村のチャンピオンの可能性は薄いTSRがチャンピオンチームになるためには手島を辻村の前に出すことが条件になるのだ、それもトップ3の中で。
ここ2、3年、600クラスではハルクとTSRチームが覇を競っている。最終戦が混戦になる事は予想出来ていたが、全くその通りになってしまった。
ポールポジションから辻村が逃げ、安田と手島が追う展開。序盤、安田は喰らい付いていったが持ちタイムの差はいかんともし難く、辻村には離され手島にも置いて行かれてしまった。
この時点でチャンピオン争いは、TSRチームの手に委ねられてしまったのだ。
チームがオーダー出して辻村を下げれば手島がチャンピオンになる状況下で、TSR主宰藤井正和はあえてオーダーを出さなかった。ライダー同士の戦いという意味で言えば安田は紛れも無く堂々のチャンピオンであるが、俺が常日頃大事にしている、全日本チームの観点から言えばチョッとしょっぱいチャンピオン獲得であった。
俺の個人的な感想を言えばそうなった訳だが、藤井もナイスガイだし辻村猛・手島雄介もちろん安田猛史も可愛い奴らだから誰がチャンピオンになっても同じなんだな。なぜならどうしたってチャンピオンは一人しかなれないんだから。
今年1年楽しませてくれたライダー全員にお礼を言いたい気分だ。
レースが終われば打ち上げだ。
今年はHMJが会員制で打ち上げパーティーを開催した。当然俺達も駆けつけ、スタートからハイペースで飛ばした、レース同様ペース配分を考えずに飛ばせば結果は・・・当然の成り行きで。パーティーがお開きになった頃には完全に出来上がっていたようで、俺はどこかのソファーで(それが何処だったか覚えてない)寝に入った。酔いもあったが、レースが終わってホッとしたのかとにかく寝たかったのだろう。(その頃、本田重樹捜索隊がホテルツインリンクを探し回っていたらしいがそんな事、俺は知らない)
翌朝は6時に起きて打ち上げゴルフコンペだ、
今年もお世話になった方々とのゴルフが当然メチャクチャだったのは言うまでも無いが、俺はゴルフの師匠である藤井正和大先生に、ニギリの負け分と昨日のお礼も兼ねて、野口英世札数枚を奉納したのであった。