Vol.11 鈴鹿2&4
例年なら開幕戦の鈴鹿2&4が先日行われた。
開幕戦の美祢を欠場した小西は、今回も走る事が出来ず欠場。代わりに安田が走った。久し振りにJSBマシンに乗るヤスは緊張するどころか、「速いッスねー」なんて言いながらニヤニヤしてる。俺達も始めは心配してたが、ラップを重ねるごとに安心に変わっていった。やっぱり速い奴は何に乗っても速いもんなんだな。心配だったことがひとつ消えたので夜は、走れない小西と共に飲みに行った(小西だって走りたい気持ちはあるに決まってるのに、チームの方針に素直に従ってくれたのはエライ!)
飲み屋で気持ち良く飲んでたら、オネーちゃんが挑戦(カラオケ採点)してきたので受けてやった。俺は初め、いくら相手がプロだってカラオケに使ってるお金じゃ絶対負けないと思ったが、何だか負けるんだ?!負ける度に一気飲みして、次歌ってまた一気飲み。そんなことやってるうちに気が付いた、ヤラレたんだな、まんまと。まあしょうがない、楽しく飲めたからいいや、コニ―も一時昼間の悔しさを忘れたようだったし。
翌日の予選1回目は悲惨だった。
2周目のバックストレートから130Rの進入で後続車に追突されてしまったのだ。俺は一瞬、昨日の馬鹿騒ぎのバチがあたったか?と思った。幸いヤスは乗れそうだったので、Tマシンの無い俺達は懸命にマシン修復。午後の予選までに間に合わせた。午後の予選では1本しかないタイヤでタイムアタックしなければならない状況で多くは望めなかったが、何とか10番手のポジションをGETしたのは上出来だった。
翌日決勝はヤスの負傷した膝が脹れ上がり、痛々しかったがヤスの「乗ります」の一言で出走を決めた。スタートこそ決めたヤスだったが、痛み止めを打たなければならない程悪化した膝では無理は出来ないのはいたしかたないところだろう。
結果は予選と同じ10位。最悪の状況でもこの位のポジションは決められる証明になったので、ヤスも気が済んだのだろう、帰りの車中では爆睡していた。
同じ車中で小西とじっくり話しが出来た。
今年HRCのテストを担当している小西は、レースに使うウチのマシンとテスト車の違いに戸惑いがあり、少し迷い込んでる観がある。
見た目とは裏腹で、凄く繊細・デリケートな心を持つライダーの、悩みを解消出来る良薬が何処かに売っていないか真剣に考えさせられる夜の中央道だった。
何処を探しても薬は売っていない事が分った俺達は、走るしかない結論に達した。
4月20・21日に菅生にリハビリテストに行った小西は600に乗り、まるで水を得た魚のごとく走り、TOPタイムで切り上げた。
いやはや何とも、難しいのは女心とライダーである。