【COLUMN】菅生

全日本ロードレース選手権第3戦菅生

仙台と言えば俺はジェネティックスヘンリー。日本で唯一と言っていい程の数少ないJRDという器具を使い(ゼロアジャスト)中枢神経の乱れを矯正していくカイロプラクティック治療の整体院に行くのが、ある意味楽しみでもあるんだ。年齢からくる?肥満のせいで慢性腰痛に悩み、大好きなゴルフも億劫な程だからね。

水曜日に仙台に入り、ゼロアジャストしてもらったお陰でコロナ禍以降しばらくご無沙汰していた翌日のグリーンミーティングは絶好調・・・の予定だったけど、そうは問屋が卸さない。相変わらずのアベレージスコアだった。俺の場合は上手くなる前に歳を取ってしまったからね(苦笑)。スコアはともかく、気の置けない仲間達とのラウンドは楽しかった。

先週事前テストが快晴で「もったいないから来週まで取っておいてよ」心配された決勝のレースウイーク。絶好調でした。

金曜日の夜に雨が降ってウエット路面が残るか心配されたが問題なく出来た。

今回は600とJSBクラスが2レース制で、土曜日朝一番に予選を行い、当日レース1が開催される。このところモヤモヤ病?の名越哲平。誰か良い薬持ってないかな?ホンダCBRに関して大した経験も無い伊藤や野佐根に先行を許しているのは残念だ。

レース1では6位。微妙なポジションなんだよな。

モヤモヤ病どころか、何だか判らない病なのが600の濱田寛太。俺に言わせれば、ただ遅いだけのなんだけど、本人はどうもその意識が無い。俺達がやっているレースは、速けりゃ何でもいい。逆に遅い奴は何でも無い(当たり前だ)。濱田は、自分が遅い結果も出せないライダーという意識が無さすぎる。チームに入っているだけで満足している感じなんだな。ハルクプロという全日本のトップチームに所属したライダーの中で最下位に位置する奴なんだ(まだ今年残り何戦かあるから挽回のチャンスはあるけど)。

今回のレース1ではスタート後の4コーナーで転倒リタイヤ。データも取れない最悪な結果。流石に気の優しい俺でも掛ける言葉が見つからなかった。

翌日曜日はチーム一番の元気印國井勇輝のST1000クラスの決勝がある。実はこのレースを迎えるにあたり、俺達は一つの楽しみがあった。

俺がハルクプロを興したのが1984年、地方選を経て87年から全日本に参戦を始め、1990年GP125で初優勝してから、足掛け34年で積み上げた勝利数が99勝。1勝目を挙げた島正人を始め、後の250クラス最後の世界チャンピオン青山博一、周平。参戦全レース優勝の中上貴晶、最多勝利の小西良輝、悲願だった最高峰クラスでチャンピオンを獲った高橋巧、生意気さでのチャンピオンは水野涼だな。良い子は名越哲平(笑)。

恐らく全日本史上類をみない数の年間チャンピオンを輩出し、書き切れない位の多くのライダーによって成された通算100勝目にリーチが掛かっていたんだ。

國井勇輝の快走によって完璧な100勝目を迎えられたのはとても嬉しかったな。

ハルクプロは全日本参戦において、ほとんどのレースをブリヂストンタイヤで戦い勝利を収めてきた。100勝のうち93回はブリヂストンタイヤで勝っているハルクプロが、節目の勝利を挙げられなかったのは正直残念だったな。まあ、それも時代の流れかも知れないし、俺の時代の終焉が近づいているのかも知れない。

そうは言ってもアジア選手権ではD社で戦う訳だし、それはそれで楽しく!

ST600の濱田のレース2はポイント獲得圏内ギリギリの15位。まあ、地味な奴だ。哲平は順位を落とし8位。何とか8耐で調子を取り戻して欲しいモンだ。

これからは筑波のGP3を挟んで鈴鹿8耐だ。

東京よりも馴染みの店がたくさんある鈴鹿。日替わりで楽しい食事と少しの呑みが待っている。

イヤイヤ、そうじゃない。レースだ鈴鹿だ8耐だ!