【COLUMN】全日本とアジア最終戦

セパンが終わり、フィリピンのベースから帰国。

鈴鹿でMFJ-GPがあり、日本の最終戦なので帰って来ない訳には行かない。

今年、春先に名越が鈴鹿で怪我をし、それが意外に長引き後半戦は再手術とリハビリで出場を見合わせている。

名越と同じJSBクラスに参戦している榎戸だが、彼のマシンはST仕様に毛の生えたような物。名越のJSB仕様マシンが空いたのでそれに乗っている。先日のAPではセカンドポジションを予選で獲得したが、前代未聞の決勝キャンセル。

恐らく見ている人たちは何が起きたのか理解に苦しむと思いますが、榎戸は決勝の朝から体の不調を訴え朝フリーも満足に走れなかった。榎戸の不調は時間が経つにつれ更にひどくなり、決勝のサイティングラップに出る頃にはほぼピークに達していました。グリッドに付いた榎戸は完全に終わっている状態で、とてもこれからレースを戦える身体ではないと思い、リタイヤを決断した。

(後で分かったことだが、過度なトレーニングをするアスリートに起こる症状のようで、免疫不全に陥り腹痛などを引き起こす)

2番グリッドに付きながら、絶望的な状況でリタイヤを選択しなければならなかった榎戸はもちろんだが、俺達も経験の無い展開に目が回った。

そんなことがあった榎戸だが、鈴鹿では元気よく走っていた。

その鈴鹿でまさかの出来事が。ST1000クラスにスポット参戦した埜口が、バックストレートエンドで追突され、敢え無く病院送りになってしまった。

250Kmオーバーで追突されたマシンは見る影もない鉄の塊になってしまい、埜口の背骨も、危なく神経まで達するところだったけど、不幸中の幸いで怪我が治れば又元気にバイクに乗れるようになる程度で済んだ。

かなりの余裕を持ってアジアチャンピオンシップを獲れる位置にいたのに、埜口は参加出来なければ勝負にならない。リプレースライダーに榎戸を擁してタイ・ブリラムに飛んだ。

元々1台でエントリーしていたので、チームポイントは2台体制のチームには適うはずも無い。それでも俺達は戦いを挑んだので、オーガナイザーのロンが「シゲキサン、サンキュー、サンキュー」何度も握手した。

レースでは榎戸が頑張り、初のブリラムサーキットでもトップグループに位置し、期待を抱かせたが、レース1ではヒートアップしたブレーキのアジャストが上手くいかず、コースアウト。上位フィニッシュは果たせなかったが、レース2では難しいコース状況の中で実力を発揮、見事2位でチェッカー。ゴール後の榎戸が鼻を膨らませ騒いでいたのは言うまでも無い。(笑)

上位にいた連中が思いの外上がって来なかったので、チャンピオンシップの計算に手間取ったが、最終戦2戦欠場の埜口は4P?差でランキング2位に。チャンピオンはホンダドリームアジアのザクワンに決定。レース終了後、中々計算が出来ないチャンピオンチームに「おめでとうございます!」俺の方が先に言ってあげた。(笑)

アジア選手権のランキング表彰式はレース終了当日の夜に開催する。埜口がいないので代わりに表彰式に立ち会ったが、俺はライダーじゃないので大人しくしていたのにいきなりシャンパンシャワー!嫌いじゃないけど、出来ればチーム表彰で行きたかったな。

ハルクプロが長い事ジョイントしているアストラホンダチームもチャンピオンになったのでホンダグループ界隈では騒がしかった。

翌日からは来年用のタイヤテストがあり、榎戸も参加した、が。やっぱり榎戸、レースウイークでは慎重で転倒もなく無事だったが、1シーズン無転倒で来たバイクを傷物にされてしまった。(埜口が電話で怒っていた、「俺が傷つけず大事にしていたのに」)

テストが終わってチームの打ち上げをパタヤビーチでと、嬉しいプレゼントを提案されたので、全員でパタヤビーチの超高級ホテルへ移動、楽しい夜を過ごせた。

パタヤにはTYGAPerfomanceというガレージがある。代表のマット・パターソンは昔ハルクに修行に来たイギリス人で、タイに住み着いて30年以上になる。彼のガレージに行かなければと思いながら長い時間が経ってしまったが、今回やっと願いが叶った。ホテルから電話したらマットは「今から迎えに行きます」吹っ飛んで来た(笑)

500坪程の工場はマシニング、ベンダー、板金溶接、梱包。大変な規模になっていたのでびっくり。ショールームには作り上げたバイクが何台も並んで飾られていた。

マットは大成功を収めていました。