Vol.63 鈴鹿300km
鈴鹿300Kmロードレースが終わった。
今年は2位でゴール出来た。
実は300Kmのレースウィークにエース安田の肩に異変が起きて、俺達のチームは暗く沈んでいたんだ。
俺とチーフの堀尾は様々な考えをぶつけ合い、結局小西一人で300Kmを走らせる事に決定した。ウィークの走行で何度かヤスを走らせてみたが、とても本来のキレが見られない。ヤスはチームに迷惑を掛けられない思いからか、「大丈夫です」と言う。だけどその言葉とは裏腹な走りを目の当たりにすると、とても150Kmをまかせる事が出来ないのは明白だった。
そんな状況の中での予選セッション。不安定なコースコンディションの中で行われた予選のため、トップタイムと下位のタイムに相当な開きが出来た。通常、耐久レースではトップのタイムから110%以内に入らないと決勝の出走が出来ない。しかし予選走り始め3周程がドライで残りはウエットになった経緯ではその基準も当てはまらないのだ。競技監督の田村圭二氏に確認に行ったところ「確かに基準は適用出来ないでしょう」との言葉を得た。
この時一緒に確認に行ったのがHRC総監督山野氏だ。その時点で俺はヤスを決勝に走らせる気持ちは無かったけど、主催者の方針を確認したかっただけなんだ。レースは数多くの規則があって、それを遵守する事で均衡が保たれている。今回は「規則はこうなっているんだけど、どうなの?」っていう確認に行った訳なんだ。
しょうがないよな、分らないんだから。
ところがこの確認作業に落とし穴があったんだ。確かに一回目の予選セッションは平等じゃなかったけど、二回目の予選があったんだ。300Kmの予選はセッションでライダーのパートが決まって無い。要は勝手に走りたい時に走りたいライダーが走ればいい。逆に言えば、一回目に基準を充たしていないライダーがいても二回目のセッションにチャンスがある、という事なんだ。この「二回目にチャンスがある」っていう事が大きな誤解を招いた。競技監督は一回目に限定した特別措置で話をし、俺達は予選全体で考えてしまったんだな。俺は二回目の予選中、ヤスの最終確認で3周程コースを回らせた。ヤスがコースに出れば流して走っても基準タイムくらいはクリア出来る。しかしヤスは思ったより状態が悪く、決勝は無理だと確信した。
「山野さんゴメンなさいね。決して抜け駆けした訳じゃないですよ」(汗)かくして、一人で走る事になった小西は覚悟を決めた。
決勝はスタートから小西は安定したタイムで推移し、セカンドグループをコントロールしていた。前を行くグループに付いて行くには若干燃費に不安があったからだ。果たして、そろそろピットインのタイミングだなと思った矢先にヨシムラチームがコース上でマシンを止めてしまった。予定通りのタイミングでピットインした俺達がピットアウトした時は何故か順位が4位まで上がっていた。その後、上位チームが脱落して行き俺たちは2位にポジションが上がり、チェッカーを受けた。
小西一人で走り切った事で、本番に向けたシュミレーションが完璧に出来た300Kmだった。
レース終了後、小西がヤケにハイテンションだったね(笑)。
その晩は行き付けの平田町駅前のすし安(奥さんがいつもレースの応援に来てくれる)で一杯引っ掛けたが何だかとても疲れて、落ち付いて飲めなかった。俺も歳かな?(苦笑)