悲劇のオートポリス

インドネシアからオートポリス

マンダリカか帰ってきたらその週末にオートポリス、チームのみんなは俺より一日早く出発したが俺はセットアップ日を遠慮させてもらった(このズレが悲劇を呼ぶとは思いもよらなかった)

最近の羽田空港はとても使いづらい、空港駐車場は慢性的なスペース不足、それにもまして今度は大幅な値上げ。利用する時間帯にもよるが、昼前後に行くと最低でも1時間以上は待たされる。フライトに間に合わないといけないので必要以上に余裕を持って出掛けなくて

羽田はハルクの近所立川駅からリムジンバスが出ているのでその手もある。(俺はバスの運転手、あまり信用してないから嫌なんだけど)羽田に着いて取り敢えず昼飯食べて出発時間を待った。「天候不順で機体整備が出来ません」のアナウンス、待った、そしてまだ待った。その挙句のアナウンスが「本日の便は欠航になりました」ふざけるなよ、飛ぶと信じて待っていたのがバカらしかった(ほぼ同時刻に別会社の便は同じ目的地熊本へ飛んで行った)その便に乗って行った通称チャゲ(うちの外部スタッフで、数多くのチャンピオンを担当している)が「お先に~」

それからが大変、便の変更をするために並んでいる人の列が100メートル以上。長い事待ってカウンターで便変更手続き、俺「明日の便に変更したい」カウンターのネーちゃん「明日は満席頂いています、明後日の同じ時間なら空席がございます」俺「じゃあそれでお願いします」しばらく待って、ネーちゃん「お支払いは現金ですか?」俺「何の支払い?便を変更したのは俺のせいじゃないよ、それなら正規便のお金を返してよ」ネーちゃん「少しお待ちください」少しどころじゃないよ、俺はもう半日待たされているんだ。

ホントに少し待っていたら、小さな紙くれて「便の変更予約を入れましたので、この紙を当日チェックインカウンターでご提示ください」半日以上?羽田空港で時間をつぶした俺は家に帰るしかなかった。翌々日やっと飛ぶ事が出来て待ち焦がれた?熊本へ。

翌日の日曜日、最悪の天候でほとんどのレースがキャンセル。唯一行われたJSBクラスのレースでは哲平が転倒してしまい怪我した。(俺は何しにここへ来たんだろう?あんなに苦労して着たのに)失意の中で東京に戻ってきた。

 

翌週には久し振りのツーリング。恒例の、あぁ~云えばこうゆう会ツーリング。ハルクプロの社長購入のCL500を「俺が慣らし運転やってきてあげるよ」失敬して意気揚々と忠さん達と待ち合わせの石川パーキングエリアへ。PAに着いて降りようとした時、サイドスタンドを下ろしてから降りれば良かったと気が付いた時は既に遅かった、元々車高高めなCLに足の短さでは自慢出来る?俺は合う訳が無い。降りようとしたもう片方の足がシートの後ろに取り付けたツーリングバッグに引っ掛かり、どうにもならなくなってスローモーションのように倒れ込むしかなかった。(泣)人生初の立ちゴケを喰らった俺に、優しいバイク乗りの兄さんが「おじさん、大丈夫ですか?」助けてくれた。(苦笑)

それからの二日間はみんなが気を使って、俺が立ちゴケしないように見守ってくれた。スギタク、林君有り難う。

疲れた身体と擦りむいた膝を温泉で癒し、宴会ではいつものように楽しく呑んだ。

天気の良い日のツーリングほど楽しい事は無い、ヴィーナスラインや高速道路なら足着く心配も無く、只々楽しかった。

 

岡山テストから帰ってきたハルクプロ社長に、新車を転がした俺が怒られたのは言うまでもない。