2025全日本・ARRC開幕
今年もレースシーズンが始まった。
先日はモテギで日本の開幕戦(JSBのみ)が行われたが、全日本トップカテゴリーであるJSBクラスも、長きに渡って君臨してきた絶対チャンピオンがいよいよ窮地に立ってきた。
昨年の最終戦から赤い黒船(どういう色なんだ?)が勢いづいている。もてぎのフロントローに絶対チャンピオンの姿は無く、涼、巧、ナオと続く。(全員元ハルクだ)実際この三人は速く、プラクティスの段階から一列目の三人は安定して速さを見せていた。
プラクティスで上位の走りを見ていると、スムーズな中須賀の走りは健在だが、一列目の三人は力でねじ伏せる強さがあった。(これはヤバイな、巧はまだしも、涼とナオに暴れられたら全日本の意味が)実際それくらいの危機感を抱かせる力強さがあって、スムーズでスキの無いライディングの中須賀が逆に弱く見える。
そんな上位に中々飛び込めない俺達のエース哲平。俺はサーキットのコースサイドで走りを見るがマシンの動きや姿勢に関してで、ライディングについてはあまり言わないようにしている(だって、俺には到底出来ないような事をしている奴らに何をアドバイスするというのだ)珍しく哲平には聞いた事があった「なんであんな乗り方なの?」哲平「モトGPを見ていて閃いたんです」俺「でもモトGPのバイクとは似ても似つかない街乗り改造車だよ、無理でしょ?」俺はそれから徹底的に哲平の走りをチェックして「まだまだ、あんなもんじゃないもっとだよ」聞けば一年近く前からトライしていたライディングらしい。哲平曰く「昔のライディングに戻すだけなので大丈夫でしょう」確かに直ぐには出来なかったが走る度に鋭さが戻って来た。(大したもんだ、見上げたもんだぜ風呂屋の煙突)
決勝では高級車?に乗る4人を追いかけて、一般市販車1番でゴールした哲平。久し振りに満足そうなレース後の顔だった。
モテギのレース後、俺は翌日朝の成田便に乗るために家には帰らず、潮来に。柏木さんのセカンド?サード?ハウスの近くに送ってもらい翌日に備える。ホテルのロビーに渋い190SLが鎮座している。車検ステッカーが貼ってあるので実働なんでしょう?1950年代後半の代物。俺、あまり懐古趣味は無い方だったが、歳を取ったせいか古いものを見る目と意識が変わってきた。(最新鋭の技術の結晶みたいなレースをやってきて半世紀、この歳になって、やっと古いものに目を向ける余裕?が(苦笑))
そんな事はともかく、アジア選手権開幕戦に向けてタイに飛ぶ。
タイはSDGタイランドがあるので、ある意味ホームコースのような戦いが出来る。充実したピット備品に始まりホテル選択から食事等、すべてにアウェー感が無く安心して充実したレースが出来るんだ。CEO自ら買い出しから毎日の送迎。こんなチームがどこにある?
かくして我々はレースに集中することができる。
アジアの開幕戦前には必ず一日特別走行日が用意されている。チームスタッフやオートバイすべて昨年と同じだがライダーだけは代わった。ARRCアジア選手権にはホンダやヤマハの高級車?は出ないがイタリアとドイツから面倒くさいオートバイを持ってきているチームがあるんだがライダーは同じ、言い換えれば手の内は知り尽くしている。少しくらいオートバイのパフォーマンスが上がっても、年寄りライダー?のレース後半のバテ具合は変わらないどころか更に早目になるかもしれない。(笑)
奴らから見たらウチのライダーなんかピッチピチの21歳だ。
日本で何回かCBR1000RRRに乗り感触は掴んでいたようだが、思ったようにはいかなかった。予選では精一杯攻めたつもりだったが、上には上がいた。
気がついてみれば3列目9番手のポジション。(やばいなこれは、追い付くかな?)
レース1のスタート前600のレース時にはいきなりの豪雨、南国特有の集中豪雨でレース周回数も3周減算。俺達のレース時にはほとんど乾き、スリックでのレースとなったがレース周回数は変わらず少ないまま。後方からの追い上げ時は周回数が長い方が前に追いつくチャンスが出てくる。逆に前の方で逃げる時は短い方が有利。
10周のレースで5位まで上がったところでチェッカーになってしまったが、目の前に3位が見えていたのでレース2は期待がもてる。
そのレース2は予想通り順調に上がっていき、3位表彰台ゲット。
初めてのオートバイ、初めてのレース、チーム、タイヤETC.すべてが初めて尽くしの中での結果。改めて全日本ST600二年連続チャンピオンは伊達じゃないと感じさせた。
阿部圭斗、この後どこまで伸びて行くのか。
もう一人の若い?ライダーアルフレッド・ジェイコブ・サブラヤ。昨年からARRCに参戦を始めたが、中々伸びて来ない。理由は色々考えられるが、最後は気合と根性。これだけで無いのは分るが、これが無いとどうにもならない。
今年中に何とか植え付けないと気合と根性。