【COLUMN】2022年開幕

このところ投稿が滞っているのはコロナのせいだ。(ホントは関係無いけど?)日本が寒い季節の時に、プロ野球チームがやっているような春のキャンプを暖かい処でやれればと、フィリピンにベースを作ってから早2年、未だに稼働出来ないのはコロナのせいだ。

とにかく面倒でしょうがない。PCR検査は国によって72時間以内や48時間以内とバラバラだし、検査だって無料じゃないから数多くやっていると結構な金額にもなる。先日も出張前に気になって一応検査したらナント陽性反応、なんだ?俺コロナに感染してるの?検査機関では陽性反応が出ると近隣の保健所に連絡するから、強制的に隔離される。

誰かに感染させていたら嫌だから思い当たる人達に片っ端から連絡したけど、誰もいない。会社にも自宅の家族も誰も。何で?俺だけ。(苦笑)

コロナウイルスは目に見えない(当たり前だ)から、どこで誰にうつされたか分からないところが怖いよな。一週間経ってお許しが出たところで再度PCR検査、陽性。(なんだ?ダメじゃん)三日後に検査でやっと陰性。キャンセルしたフライトを取り直し、48時間前に陰性証明を取るための検査、ナント又、陽性!(ヤバい又キャンセルか?)諦めの悪い俺は、即日結果の出るクリニックを探して出発日の前日に検査、今度は陰性。ギリギリセーフで出発出来た。(それにしても前日のクリニック、足元見られたか?びっくりする値段だったな)

 

ナントカめでたく?フィリピンに飛べた俺は、ベースにあるCBR300Rをモディファイする作業に没頭した。日本のようにレースベース車みたいのがあれば楽なんだけど、そもそもフィリピンにはCBR300Rそのものが無い。タイから輸入してもらいトレーニング用に仕上げる作業は思いの外時間が掛かった。(何年もの間工具も持たなかった俺には重労働だったな)

FRPのシートを製作しなければならない、FRP工場を聞いて交渉するが、そもそも言葉が通じにくい国、ラチがあかないし警戒してかまともな返事しない、携帯の画像見せて作れる?って聞くんだから、相手だって(何だ?この変な日本人みたいなオヤジ)しつこく聞いていると今度はボッタくり。(駄目だコリャあ)

車で走っている時に、たまたま見つけたショップに飛び込みで交渉。コイツはノリが良かった。ウチのベースから割と近い事も幸いしてか、すぐに見に来てヤル気満々。

アッと言う間に出来上がったシートは、俺の想像以上の出来栄えだった。

見た目はとぼけた長髪野郎で「出来るけど、僕はお金が無いので材料買うお金先に下さい」大丈夫かなと思ったけど、昔の人は言いました「人は見かけによらない」地で行っているような兄ちゃんだった。

フィリピンで作業しながらも、今年はARRCアジア選手権も開催の運びとなったのでタイのブリラムへ飛んだ(もちろんPCR検査して陰性証明書もらった、日本で最後にやった検査の20分の1プライス)日本が高いのかフィリピンが安いのか?

丸二年マレーシアに置きっぱなしだったので大丈夫か心配だったが、思いの外無事だったのが嬉しかったな。タイではSDG 昭和電機グループの総帥自ら車の運転に始まり、あらゆる面でサポートしてもらったので、とても初めてのレースとは思えないくらい充実した運営が出来たと感謝感謝。(何が驚いたかと言ったって、アイスバッグ買いに半日車飛ばしてハイ、これ。)こんな事されたらやるしかないよ。

埜口はもちろん頑張って走ったよ、初日はトップと4秒離れていたラップタイム、最後はトップ争いしていたからね。

アジアのレースに新風を吹き込んだので、みんな喜んでくれた。レース2の最終ラップ最終コーナーの飛び込みでギヤ抜けさせてしまい飛び出した、その時外側にいたヤマハライダーも道連れにしたことからペナルティが付き順位降格。納得が行かない俺は審査委員室に事情を聞きに乗り込んだ。

部屋に入った途端先を越された「コングラッチュレーション!シゲキサン。ナイスファイトヤングライダー、」みんなが拍手。俺は何も言えずに「サンキュー」(苦笑)まあ、悔しかったけど3位も4位も同じだ、次は勝つか負けるかで争いたいモンだ。

レースは負けたけどトップ争いが出来た事がすごく嬉しかったな、全日本ではしばらくトップカテゴリーでの争いが出来てないから。でも俺は喜びを顔に出さないように努めていた、あまり喜んで油断していると埜口がさり気なく何かをタカってくるからな。我慢したから今回はCBRのリヤスタンドで済んだ。(笑)

帰国してからは鈴鹿の2&4.事前テストで哲平がトライしたけど駄目だった。俺は何とか乗れないかと、痛み止めのクリーム塗って一生懸命マッサージしてやったけど、意外に重症だったね、痛みよりも痺れて無感覚になってしまうようで、危ないから止めさせた。

代わりに育寛が頑張って自己ベストを更新しながらレースに備えていたね。

榎戸育寛は今年ST車両でJSBクラスを戦っている、色々訳があっての事なんだけど、最後のところでマシンの差が出てしまうのが可哀想だ、レース1ではまさにそれが出て最後に順位を落としてしまった。その代わり翌日のレース2では雨が幸いし快走したね、表彰台こそ獲れなかったけど4位はエライ、前日の借りを返した走りだったな。

 

今年も開幕もてぎは不在だった、去年全日本を休むまで35年皆勤賞だったけど、一度切れてしまうと意外に気にならないモンだな。休まず続けていた時は、記録を伸ばそうと秘かに思っていたけどね、チームはそうならないように頑張りたいモンだね。